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今日、私は生れた

駕籠に乗る人担ぐ人 そのまた草鞋を作る人 ◆鬱の克服法◆ 喜怒哀楽

すろあさん
トピック作成者:すろあ さん
2024.10.8
私はそもそも楽天家でストレスにも強い性格でした。
そんな人間でも鬱になります。
私は鬱を8年病みました。
そして、現在は克服したと思っています。

そもそも鬱じゃなかったんじゃないかと言われると、身も蓋もありません(爆
鬱の期間中、我ながらすごいなと思ったのは、部屋の片付けが一切できなかったことです。
洗濯物も山のように貯まりましたが、切羽詰まってやりました。
食器洗いは、シンク内に食器が「山のように」では表現できないほど積み上げました。
部屋の片付けは、それらに比べて許容量が大きいので、記録を重ねました。
書類や本や郵便物は運ぶ途中に落とすと、それを拾い上げることができませんでした。
なぜか、そこには鏡も転がっていて、その上に何重にも、そういう雑貨が転がり重なって、さすがに慎重に歩きましたが、やがてパキッと何やら割れる音が。
それでも、それを確認する気が起きずに、相変わらず慎重に歩いてましたが、遂にバリッと音がしては放置はできませんでした。
積み重なったゴミの山をかき分けると、見事に砕けた鏡がそこにありました。
破片を拾い上げ、念の為に辺りを掃除機で吸い上げると、ゴミを平らにならして、日常に戻しました。

物事は、放っておけば自然と自然に帰ると言いますか、人間が四つん這いで歩く姿勢から二足歩行を始めたように、少しずつおかしな歩行から本来の歩行になるように、正常化していくものだと思います。
鬱発症から7年が過ぎた頃、あるゲームサイトで、3月11日の悲惨な記念日についふとつぶやいてしまったのです、胸の内を、さとられないように。
そうすると、少しだけ楽になったんです。
やがて、もう少しつぶやき、コメントを受けるようになって、こちらもややまともに書き込みができるようになって、人との関係性が少しずつ保てるような改善が見られるようになりました。

鬱のときも、近所付き合いや、特定の人とのコミュニケーションは極自然にできていました。
その差は何かと言いますと、それはわかりません。
人には、社会的に繕う力があるので、それが繕ってできているのか、本来的に自然にできているのかの差かもしれません。
人と人との関係性は、「駕籠に乗る人担ぐ人 そのまた草鞋を作る人」に表現されている気がします。
それぞれに立場や役目があって、それぞれがそれぞれに社会的機能を果たすことによって社会が成り立っているということです。
その歯車のようなものを自分自身で掴むこと、それが社会人であり、人間であるということ。

そして、次に大切なことは、素直な感覚を持つことです。
端的に言えば、喜怒哀楽を表に出さなくても、その感情をしっかりと捉えること。
それができれば、鬱ではなくなります。
私は、そのサイトで、嫌なタイプの人間をたくさん感じてきました。
露骨に腹を立てたこともありました。
そうすると、音を立てるように、鬱が晴れていったのです。

鬱に苦しむ人の参考になればと思い、書きました。
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